「地獄に堕ちるわよ」を見て、易経と人の欲について考えた
- Beeruca

- 8月3日
- 読了時間: 2分
少し前に話題になった、Netflixで細木数子さんを題材にしたドラマ「地獄に堕ちるわよ」
なかなか濃い内容だったので、数回に分けて見た。
細木数子さんは子供の頃によくテレビでも見ていたし、私も本を買ったこともある。
そんな人物の物語だから興味を持ったのだけれど、見終わって残ったのは、占いそのものよりも「人はなぜ力を求めるのか」という問いだった。
作中で印象に残った場面がある。
「戦後を生きた世代として、自分たちは欲深くなった」という彼女の回想が語られる場面だ。
その瞬間、私は親戚の叔母を思い出した。
細木さんほどの規模ではもちろんないけれど、地元で頑張って事業をして、新聞に載ったこともあった人。
(ちなみに載った理由は少し複雑で、子どもだった私はよくわかっていなかった。)
でも今思うと、戦後を生きた人たちの「足りない恐怖」は想像以上に深かったのかもしれない。
食べられない。
安定しない。
いつ失うかわからない。
義理の母は、さつまいもが嫌いと常々話していた。
理由は、子供の頃に食べるものがなくて、さつまいもばかり食べ(されられ)たから。
そんな時代を通ると、人より先に行きたい、稼ぎたいという気持ちになるのも自然なのかもしれない。
ドラマの序盤、細木さんのお母さんが細木さんの事を易者に相談し、「地沢臨」という卦を受け取る場面があった。
私はhealyで易経を数年見てきたけれど、この卦は面白い。
発展、到来、人が集まる、勢いが出る。
一方で、易経は良い卦ほど戒めも含んでいる。
流れが良い時ほど、自分を見失わないこと。
勢いがある時ほど、徳を忘れないこと。
成功そのものが悪いのではなく、力の使い方なのだと思う。
ドラマの中でも、細木さんは完全な悪人には見えなかった。
きっと面倒見も良くて、助けられた人もいたのだろう。
でも、力を持つことと、その力に飲まれないことは別なのかもしれない。
そしてもう一つ印象に残ったのが、細木さんに対峙するライターさんの存在だった。
彼女は、強い相手に圧をかけられても、自分の見た真実を曲げない。
少し前に、自分も環境を変える決断をしたのだけれど、その姿を見て少し勇気をもらった。
易経は未来を当てるためのものとしても使われるけれど、人生の流れに当てはめても面白い。
禍福は糾える縄の如し
人生万事塞翁が馬
など
ドラマを見ながら、そんなことを考えた夜だった。


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