エヴァと私|分断から統合へ、意識の物語
- Beeruca

- 2月25日
- 読了時間: 5分
先日、ある友人に「エヴァって面白いの?」と聞かれました。
確かに面白いと私は思いますが、結果的にとても長い物語になっているので、どこから薦めたらよいのか少し悩んでしまいます。
カラーの公式YouTubeには短く切り取られた映像も公開されていますので、これから触れてみたい方は、まずはそこから観てみるのもよいかもしれません。
エヴァと私の歴史
90年代
私は、TVシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』のリアルタイム世代ではありません。
当時私は高校を卒業し、東京の音楽学校へ通っていました。
男の子の友人たちが「昨日のエヴァ見た?すごかったね!」と話していたのを覚えています。
存在は知っていたけれど、当時の私は真面目で、アニメを積極的に見るタイプではありませんでした(月山羊座)。
アニメを見る時間があるなら音楽の練習をしたほうがいい、と思っていたような、少し堅い若者でした。笑
2000年代初頭
時が過ぎ、今の主人と出会い、お付き合いをしていた頃。
TVシリーズから映画『Air/まごころを、君に』までを、ほぼ数日で一気見することになります。
「見せられた」と書くと語弊があるかもしれませんが、最初は主人の強い推薦から始まりました。
けれど、観終わったときにはただ呆然として、うまく感想が言葉にならないほどの衝撃を受けていました。
主人は庵野監督(庵野秀明さん)のファンだったので、当時の時代背景や制作現場の空気感、監督の心境など、いわば“副音声”のような話も聞きながら観ていました。
気づけば私も、かなり詳しくなっていたのです。
2000年代後半
そして時代は進み、新劇場版シリーズが始まります。
私はエヴァを、庵野秀明監督の内面の感情や意識の整理、そして統合の物語でもあると感じています。
90年代のエヴァで、心の奥をさらけ出すような表現をしたあと、制作のプレッシャーやファンからの反応など、さまざまな要因が重なり、監督は一度壊れてしまったと言われています。
TVシリーズ最終話のラフ画進行は、当時大きな話題となりました。
再始動は、もちろん個人の意思だけではなかったでしょうし、商業的な側面もあったはずです。
それでも振り返ってみると、あれは「エヴァを終わらせるための再スタート」だったのかもしれません。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』はその名の通りに掴み、新シリーズの幕開けを予感させるワクワク感と映像表現で魅せてくれました。
『破』はまるで少年漫画のような熱量に満ちていました。
震災後
このまま旧劇とは違う作風で突き抜けるのかと思いきや、実にエヴァらしく(笑)、『Q』で私たちは高いところから突き落とされます。
「何これ…?」
当時、友人4人と観に行きましたが、全員が言葉を失いました。笑
『Q』が公開されたのは2012年。制作期間中には東日本大震災もありました。
あの映像世界に長期間向き合い続け、社会全体が揺れたあの時代を生きていれば、心が疲弊してしまうのも無理はないと、私は思います。
そして、シリーズの締めくくりとなった『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』。
公開当時、私はたくさんのものを受け取り、深く揺さぶられました。
けれど、受け取った情報量が多すぎて、言語化することができませんでした。
つい先日見返しても、やはり完全には言葉にできません。
それでも今は、構成や整理を助けてくれるAIがいる時代です。
もちろん自分の言葉で書くことは大切ですが、こうして思考を整える助けがあることを、ありがたく感じています。
エヴァという「統合」の物語
余談ですが、『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』公開時に、庵野監督の密着番組をテレビで観たことがあります。
その中で、監督のお父さんの話が出ていました。
仕事中の事故で片足を失われたこと、そしてそのことを子ども時代に周囲から指摘される経験があったこと。
私はそれを聞きながら、ああ、これもまた“原初の傷”のひとつなのかもしれない、と感じました。
もちろん、作品と個人の人生を単純に結びつけることはできません。
けれどエヴァは、どこまでも「親子の物語」でもあります。
父と子。理解されない思い。埋まらない距離。
究極のところ、エヴァは壮大な「親子喧嘩」の物語なのかもしれません。
そして親子とは、最初に出会う他者。
最初の分断であり、最初の統合のテーマでもあります。
エヴァという物語は、ひとりの人間の内面が壊れ、分断され、そして時間をかけて再び統合へ向かうプロセスのようにも見えます。
あれはロボットアニメではなく、「意識の縮図」だと私は思います。
極端に走り、バランスを失い、一度は壊れ、それでも終わらせずにやり直す。
そのテーマは、私が以前書いたゼータ・レチクルの変容の物語とも、どこか重なります。
高度な文明が精神とのバランスを失い、崩壊の淵に立たされ、長い時間をかけて“統合”へと向かったという物語。
文明とは、無数の個の集合体です。
一人ひとりの意識が重なり合い、ひとつの文明を形づくっていく。
エヴァが個人の物語でありながら大きな社会現象となったのは、庵野監督の内側から発せられた強い思いが、波紋のように広がり、共鳴する人々を引き寄せたからなのかもしれません。
ロボット形に惹かれた人も、演出に心を奪われた人も、そして私のように監督の意識の揺らぎに関心を持った人も。
それぞれが、自分の内側にある“未統合”をどこかで感じ取り、物語に反応していたのではないでしょうか。
そしてそれは、監督だけの物語ではなく、私たち一人ひとりの内側で起きている「分断」と「再統合」の物語でもあるのだと思います。




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