わかり合えないことと、それでも大切にしたいこと
- Beeruca
- 6月8日
- 読了時間: 2分
ふと心が揺れたことがあったので、今日は少しだけ、自分の内側を整理するように書いてみようと思います。
とある友人との会話のなかで、私がやっているスピリチュアルな活動(レイキやライトランゲージなど)について、「ああ、偏見ってまだあるんだな」とふと感じた瞬間がありました。
その人を責めたい気持ちはまったくなくて、ただ「伝わらないんだな…」という悲しさが、すっと胸の奥に沈みました。
私がもう一つの側面として取り組んでいる音楽だって、理屈ではなく、感覚で受け取る世界です。
でもスピリチュアルな世界のことは、まだまだ“わからない”ことへの不安や偏見を持たれやすいのかもしれません。
だからこそ私は、誰かに押しつけることは極力控えて、必要な方に届けられるような形を大切にしてきたつもりです。
「わかってほしい」と願うのは自然な気持ちだけれど、それは時に小さなエゴでもあるのかもしれません。
そして「わかられない」という経験もまた、私にとって大切な学びなのだと思います。
4月から、週2でお仕事をしているリラクゼーションサロンでも、以前エネルギーを扱うことを公言されていたスタッフの方がいたのですが、その方に対して「あの人、ちょっと怪しいよね」といった噂話が、本人のいないところで交わされているのを何度か耳にしました。
“わからないもの”に対して、怖さや不信感から、否定のかたちで向き合ってしまう姿を見て、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
私もエネルギーに関わることをしているからこそ、今は自分を守るために、職場では自分のしていることをあえて話さないようにしています。
それは少し臆病な選択なのかもしれないけれど、自分を信じて続けていくために、今の私にとって必要なバランスだと感じています。
人によって、住んでいる世界は本当に違っていて。
でも、時にはその世界が、レイヤーのように重なり合うポイントがある。
その“重なり”こそが、面白くて、そしてときに私たちを成長させてくれるのだと思います。
こんなふうに心が揺れることもあるけれど、それでも私は、自分の感覚を信頼していきたい。
音や手や声を通して、今の私にできるかたちで、表現を続けていこうと思っています。
もし誰かが、その響きに気づき、共鳴してくれたなら――それは、いちばんうれしいことです。

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