スピリチュアルは大切。でも、今の「スピ業界」には少し違和感があります。
- Beeruca

- 7月5日
- 読了時間: 3分
最近、SNSでこんな投稿を見かけました。
「人生の壁にぶつかって、もうスピってる場合じゃない。」
その投稿には、多くの共感が集まっていました。
心を支えるはずのスピリチュアルな学びが、人生の壁で役に立たないというのは皮肉なものです。
本来の意味で考えれば、そんなことはないはずなんです。
でも今、消費されているたくさんのコンテンツを眺めてみると、「そう思われてしまう理由も分かるな」と感じています。
私は20代後半でレイキを学んだことをきっかけに、スピリチュアルな学びを自分のペースでコツコツ続けてきました。
気づけば、人生の半分近くをスピリチュアルの学びと共に歩んできたことになります。
だから私にとって、それはとても大切なものです。
目に見えないものを感じること。
自分の内側と静かにつながる時間。
祈りや音、自然に触れること。
それらは私の人生にとって、かけがえのない支えです。
だからこそ、今のスピリチュアル業界に対して感じる違和感も、少しずつ大きくなってきました。
現代は情報社会です。
お金を払えば、さまざまな知識やメソッドを学べる、ある意味とても恵まれた時代でもあります。
でも、知っていることと、生き方として身についていることは別です。
本当の意味で自分のものになるのは、人生の出来事を通して、その学びを何度も確かめていく過程なのではないでしょうか。
だからこそ、人生の壁にぶつかった時、それまで学んできたことが支えにならず、「もうスピってる場合じゃない」と感じてしまう人もいるのでしょう。
人生にはどうしても、向き合わなければならない現実的で、ときに理不尽な出来事があります。
悲しみも、不安も、怒りも、喪失感も。
私は、それらを味わうことも、魂レベルでは大切な体験であり、学びなのだと感じています。
だから、不快な出来事や感情を「波動が低い」と片づけてしまうのではなく、起きた出来事や、その時に湧き上がる感情を丁寧に受け止めることの方が、私にはずっと大切に思えるようになりました。
この数か月、ACT(アクセプタンス&コミットメント・セラピー)を学びながら、改めて感じたことがあります。
本当に人を支えてくれるものは、現実から離れることではなく、現実を生きる力を育ててくれるものなのだということ。
怖さがあっても前へ進む。
不安があっても、自分が大切にしたい方向を選ぶ。
私にとってスピリチュアルは、そのための土台です。
現実から逃げるためではなく、現実を生きるためのもの。
だから私は、「特別な能力」よりも、「安心してここにいられること」
「高次元」よりも、「目の前の人の心が少し軽くなること」を大切にしたい。
私は、スピリチュアルを特別な世界のものにはしたくありません。
毎日の暮らしの中で、楽しみを見つけること。
自分の心の声に気づくこと。
大切な人と笑うこと。
悲しみを悲しみとして受け止めること。
そんな現実の積み重ねの中にこそ、スピリチュアルは息づいていると感じています。
そんなスタンスで、これからも活動を続けていきたいと思っています。



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